三浦春馬さんの死から1年が経とうとしています。アミューズ主催の「三浦春馬お別れ会」はコロナで中止。今回は三浦春馬の実母で笹本真弓さんが週刊文春の取材に応じた三浦春馬の墓と日々を見ていきます
三浦春馬の趣味「大きい家具が大好き」
今年の4月26日に東京から茨木県の住宅街にある、三浦春馬の実母笹本真弓さんの自宅に三浦春馬の遺品が運び込まれました。それは三浦春馬が買い集めた家具一式でサイズが多きものばかりでしばらく別の場所で保管されていたものでした。
笹本真弓さんの自宅には三浦春馬さんが使っていた財布や携帯電話、几帳面な性格が表れている手帳、ファンから送られてきた多くの手紙がありました。
三浦春馬所属のアミューズは「お別れ会」を予定していましたが、コロナを理由に中止代わりに追悼サイトを設けています。株主総会では亡くなった経緯に関する質問も出たが、事務所側は「陰謀説や事件性のあるものではない」と否定しています。
三浦春馬の住まいピアシティ芝浦ビルピアシティ芝浦ハイツ1LDK14Fの間取り図。クローゼットはBedroomに作り付け家具。 pic.twitter.com/fioEVDOWNt
— 片山徹 (@_9105294027642) October 5, 2020
三浦春馬「早くに花が咲き過ぎた」
三浦春馬11歳のデビュー作「森の学校」(2002年)の監督も三浦春馬を絶賛しています。「オーディションには約2000人が集まりましたが、一目見た時から、春馬しかいないと思いました」西垣吉春監督
「この作品では関西弁にこだわったので、東京から参加した春馬は苦労したと思います。でも、しっかりトレーニングしてから来ていて、大したもんでした。凄いと思ったのは、彼は現場で台本を見なかったこと。本当に瑞々しい、純粋で無垢なお芝居をしてくれた。それは天性のものでした。
実は、春馬が30歳前後になったら「森の学校Ⅱ」を作る構想もあったんです。今後の映画界を担っていくはずの彼を見られなかったのは非常に残念ですが……早くに花が咲き過ぎたのかなと思います」西垣吉春監督
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三浦春馬飲酒「20歳になるまで飲まない」真面目な彼
三浦春馬は2010年に公開された「君に届け」で大ブレークしました。
「最初の印象は、照れ屋で繊細な部分のある俳優さん。だけど、話すうちに彼の持つ人間性がよく分かってきた。持って生まれたカリスマ性がありました」
「撮影が落ち着いた頃、足利で2人で飲んだんです。20歳になるまで飲まないようにしていたのも、真面目な彼らしい(笑)。ビールでしたが、「あまり縛られずに色んな役をやってみたい」とすごく楽しげに話していましたね」熊澤尚人監督
「(15年公開の「進撃の巨人」では)ガッツリ一緒にやりましたね。僕が初日に入った時、彼は「2日前、高いところに吊り下げられて大声で叫ぶシーンを2日間撮ってたんです。そしたら声が出なくなっちゃって」と笑って挨拶してくれた。はにかんだような表情が彼らしいと思ったし、撮影現場では非常にストイックでもありました」國村隼
「自分の心情を吐露できるような相手、ちゃんと甘えることができるような相手がいれば、ずいぶん色んなものが変わったんじゃないかなと……。責任感が強いがあまり、弱音を吐かなかった、いや、吐けなかった。そんなことも思います」國村隼
三浦春馬は責任感が強く、弱音を吐けなかったことが自分自身を追い込んでいったのでしょう。
國村隼さんが三浦春馬と再び共演した映画が「映画太陽の子」です。
「撮影が行われたのは、19年9〜10月の約2カ月間です。彼とは『まっすぐ生きている当時の若者の姿をどう見つめていくか』というテーマで、何度も議論を重ねました。軍隊式の歩行法を学ぶため、専門のトレーナーを招き、背筋の伸ばし方、視線の振り向き方まで細部を磨いていった。例えば、母親に最期の別れを告げる場面があります。台詞もないのですが、彼は佇まいだけで『訣別』を示してくれた。撮りながら、ぐっと胸を掴まれた瞬間でした。春馬君は本当に命を懸けて、完全燃焼して演じる人。役作り以前に普段から、毎日を大事に生きるということをすごく真摯に考えている人だと感じました」黒崎博監督
「彼は、キャラクターの痛みを三浦春馬として感じながら表現するタイプ。役柄と、三浦君自身との“共鳴作用”が大きかったのではないでしょうか。非常に深く、真実味のある演技でした」國村隼人
三浦春馬アクターズスクール「新しい家に帰りたくない」
1990年茨城県つくば市で生まれた三浦春馬は小学1年生の頃、両親の離婚を経験します。友達が出来るようにと預けられた場所が地元の芸能スクール「つくばアクターズスタジオ」です。
つくばアクターズスクール時代の歌って踊る春馬くん。
あどけない感じがまた素敵✨
雰囲気だけ伝わって頂ければ…#土浦セントラルシネマズ#三浦春馬 pic.twitter.com/U3jNzJ06kP— ともげ。 (@Ha_Ru_04_05) May 4, 2021
「彼はこの頃から、自身の生き方に疑問を持ち始めるようになっていました。その背景は、複雑な生い立ちを抜きには語れません」加藤指導員
「人一倍甘えん坊な子でした。帰宅を促すと、一度だけ「帰りたくない」と言ったこともあった。ちょうど、新しいお父さんと3人の生活を始めた頃でした」加藤指導員
三浦春馬の実母笹本真弓さんは地元のホストクラブの男性と再婚し、中学校3年生まで市内の一軒家に継父と3人暮らし。その後も三浦春馬が活躍するたびに金銭的援助を求められ関係が崩れていきます。
よっぽど家に帰りたくない程、子供ながらにストレスを感じていたに違いありません
三浦春馬の好物「梅干しとピクルス」
全国47都道府県のメイド・イン・ジャパンを訪ねる旅をまとめた三浦の自著「日本製」広島に行き、週刊文春に掲載されると全国の会った事もない人から手紙が数十通届いたようです
長崎の旅館に行った時三浦春馬は梅干しを気に入り、おかみさんと仲良くなります。
「昨年4〜5月、旅館はコロナで休業しました。その時、女将が「闇袋」という通販をやると言ったら、彼が「協力させて下さい」と。梅干しなど名産を詰めた1袋1万2000円の「闇袋」を、10袋も買って、知人に配り歩いてくれたんです」旅館の従業員
コロナの影響で自粛期間中、三浦春馬は手作りの醤油麹をピクルス瓶に詰め、直筆のメッセージを送り女将に郵送するほどの交流が深かった。
三浦春馬の墓「まだ心の整理がついていない」
三浦春馬の事務所であったアミューズは、去年「三浦春馬に関する全ての利益は、三浦春馬支援と称し、寄付・支援に充てる」と発表しています。この点について「寄付・支援活動の趣旨や、春馬のそれらの活動への想いなどは、事務所の方から死後に直接説明を受けていますし、私としても賛同しています」笹本真弓
「今の時点で事務所の対応に不満を持っているということはありません。生前も事務所の方にはお世話になっており、春馬の遺志を引き継いでいきたいとも考えています。ファンの方々へ、どのように感謝の気持ちを伝えたら良いかなども含め、これからも事務所の方と相談して、できる限りのことをしたいと思っています」三浦春馬の実母
「納骨はまだできていませんが、息子の在りし日を偲びながら、これからは静かに暮らしていきたいと思います。遺影は事務所の方が選んでくれたものですが、くしゃくしゃの満面の笑顔の春馬らしい写真で私も気に入っています」三浦春馬の実母
三浦春馬が亡くなったと報道されて一周忌を迎えるにあたり、いまだ眠る場所がない三浦春馬。自分のマネーマシーンだった三浦春馬をお墓に入れる心の整理がまだついていないのでしょうか
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