竹内結子さんが渋谷区の自宅で自殺していたというニュースがありました。今回は今年1月に出産し、公私ともに順風満帆に見えた彼女の悩みを週刊文春公開していた内容を見ていきます。
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竹内結子さんは1人で飲み歩く事が多かった
映画やドラマに出演していたトップ女優の竹内結子さんは、自宅近くのバーで夜、ひとりで飲む姿が度々目撃されていたようです。
「だいたい夜九時過ぎにふらっと来て、ひとりでビールやカクテル、ハイボールなどを飲んでいました。
すっぴんに近い薄化粧ですが、綺麗な方だから、飲んでいるだけで様になる。時折じっと考えごとをしているようにも見えましたが、泥酔したり騒ぐようなことはなかった」(バーの常連客)
去年2月に再婚し今年1月に第二子を出産した竹内結子さん。
2008年中村獅童の浮気が発覚し離婚。11年間のシングルマザーの心の拠り所がお酒っだようだ。
TV番組『火曜サプライズ』に出演した際に、「お酒を飲む場所は普段は台所飲み」と即答
去年3月の再婚直後に出演した『ボクらの時代』でも、子供を寝かせた後の2、3時間は『だいたい台所でお酒を飲んでいる』と明かしている。
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竹内結子自殺理由は何?「クローゼットで首吊り産後鬱はデマ」渋谷区自宅
竹内結子の夫は中林大樹(なかばやしたいき)「親に2度裏切られた子供は悲惨」
第一発見者は夫の中林大樹


竹内結子は自立心が強く孤独を感じさせる女性
1995年に高校入学直前に原宿のラフォーレでスカウトされた事が芸能界入りのきっかけでした。
「デビュー間もない頃は地元の生協でレジ打ちのバイトをしていました。
町中に名前がとどろくほどの美少女で、彼女をひと目見るために一日に何度も買い物に行く客が絶えなかったほど」(実家近くの友人)
「好きなことは好き、いやなことはいやとはっきり言う、自分の考えをしっかり持った方でした。カメラを見るときの目線の鋭さが強く印象に残っています」(98年発売「たけうち」カメラマン西田氏)
竹内結子さんは実母と死別し父親は早くに再婚するという、家庭環境で育ちました。
「私には帰る場所がないから、この世界でがんばりたい」と本音を周囲に漏らしていた事も分りました。
「まっすぐ家に帰りたくないという理由で、よく当てもなく一人旅に出たといいます。
彼女が小説『サーフ・スプラッシュ』では、主人公と自分を重ねた心象風景が綴られ、連れ子という立場が父親の重荷になっていたことや、新たな家庭に馴染めなかった実体験が記されています」(スポーツ紙記者)
複雑な家庭環境で育った結果若い頃から自立の道を探していたのかもしれません。
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竹内結子さん「中村家にも溶け込めなかった」
「帰る場所がない」とは、実家との微妙な『距離」を意識していたようで、背水の陣ゆえか、肝が据わっていたよう。
99年公開の映画「ビッグ・ショー! ハワイに唄えば」で竹内を指導した井筒和幸監督が語る。
「気丈な子でしたよ。当時彼女はまだ十代。出演経験も少なく一カ月近い海外ロケは大変だったと思うけど、年上の俳優に囲まれながら必死に食らいついていた。
僕は現場じゃ口汚いから『オノレ何やっとんねん』、『声が小さい!』とか言うわけです。若い男の俳優はすぐふて腐れよるけど、彼女は絶対めげなかったね。
何百人ものエキストラに囲まれて、何度やり直しを命じられても一生懸命やっていましたよ」
「いま、会いにゆきます」での共演をきっかけに急接近した2人は2005年に中村獅童と結婚します。
「妊娠三カ月の“でき婚”でしたが、苦労が絶えなかった。獅童は歌舞伎の名門、小川家(萬屋)に生まれた梨園のプリンス。
若い頃から芸能活動ひと筋だった竹内はしきたりの厳しい梨園に溶け込むことができず姑とも折り合いが悪かった」(スポーツ紙記者)
しかも中村獅童の浮気が多く、
「竹内と結婚した後も夜な夜な飲み歩き、数多の女優やモデルと浮名を流した。
06年に酒気帯び運転で検挙された際、助手席に浮気相手の女優を乗せていたことが発覚。スキャンダルに発展し、竹内から三行半を突きつけられた」
結局2008年に離婚が成立し、長男を跡継ぎにしたかった中村獅童の母親と、親権を巡り激し争っていましたが、竹内結子さんが勝ち取っています。
竹内結子さんは中村家とも折り合いが悪く、「歌舞伎役者にとって浮気は甲斐性。嫁はそのくらいガマンしろ!」みたいな空気が嫌で、竹内結子さんだけ孤立が進み浮気も許せない事も有り離婚る事でさらに孤独を感じるようになりました。
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竹内結子さんの心の支えはマネージャー
デビュー当時から竹内結子さんを支え、様々な危機を乗り越えられたのはマネージャーの支えがあったからと言われています
「マネージャーは竹内と同世代の女性で、敏腕マネジャーにして、有能なプロデューサーでもありました。
花柄のワンピースを着るような、可愛らしい雰囲気だった竹内を、格好いい大人の女性にイメチェンさせたのもマネージャー。
竹内の新境地を切り開こうといくつも小説を読み漁り、目を付けたのが誉田哲也さんの『ストロベリーナイト』シリーズでした」(事務所関係者)
「マネージャーには、竹内を『第二の吉永小百合にする』と意気込んでいた事務所トップも全幅の信頼を置いていた。
竹内とのタッグは二十年近く続き、長男の面倒も見るなど、家族同然の付き合いで公私に渡って信頼関係を築いていました」(事務所関係者)
竹内結子さんは女優で活躍しながら、私生活では完璧な母をこなし、長男に愛情を注いできました。
「どんなに仕事が忙しくとも食事は手作りを心がけていた。スマホでクックパッドを見て料理をしながら台本を抱え、セリフを覚えようとしたこともあったそうです。
三年前に長男が有名私立中学を受験した際は一流の家庭教師を雇い、必死に勉強をサポートしていました。その甲斐あって無事合格しました」(ワイドショー芸能デスク)
「とても感じがよく、こちらが聞きたいことを汲み取って話してくれる」「扱いにくいワガママ女優とは正反対の人柄で、現場受けは抜群によかった」(芸能記者)
竹内結子さんのマネージャーが他のタレントも担当することなると、機嫌を損ね「自分だけを見て欲しい」と詰め寄る事もあった。
マネージャーが現場に来ないと、楽屋から出て来ない事もあったという
そんな中で同時期に所属事務所内で看板女優が次々と退社する、大きな動きが有った
2015年に中谷美紀が独立。柴咲コウも2016年にアパレル販売業を興し、今年の3月にスターダストを退社しました。
「看板女優が次々と離脱する異常事態でした。実は竹内も一時は独立を検討したことがあったようです。
でも、当時の交際相手で後に夫となる中林大樹も同じ事務所のタレント。
身動きの取れなくなった竹内は誰にも相談することができず、ひとりで悩みを抱えていたようです」(前出・事務所関係者)
信頼を寄せていたマネージャーとの関係はこじれたままで、2年ほど前に部署を移動して彼女はマネージャー業から退いていました。
「新しい担当はAさんの影響力を排除するためにスタイリストやヘアメイクなど以前からのスタッフを切り、竹内は益々事務所内で孤立を深めていった」(事務所関係者)
同じ事務所で夫の中林大樹と、去年2月に結婚。
今年1月下旬の出産後コロナ禍で竹内結子さんに不安が襲いかかる
「竹内が、出産から復帰後も、今後の仕事が遅々として決まらず、コロナ禍で先行きが見えないことに不安を覚えていたのは確かです。
中林も俳優としてはまだまだ無名の存在でしたし、悩みは尽きなかった」(別の事務所関係者)
竹内結子さんは孤独との戦い
竹内結子さん家族は近所から仲が良かったと言われていました
「近所でも評判の仲睦まじいご家族でした。
最近も商店街を散歩している姿を見かけましたが、お互いの顔を見つめあいマスク越しにも笑顔が分かるほど楽しそうに談笑していた。
竹内さんが雑貨屋を見ている間、密を避けるために外で待つご主人が、しっかり二人のお子さんの面倒を見ていたのが印象に残っています」
今年15歳になる竹内結子さんの長男とも仲が良かった
「再婚を後押ししたのも長男で、実の子同然に接する中林に竹内も信頼を寄せていた。中林はゴミ捨てや掃除なども率先して手伝う“イクメン”だったといいます」(スポーツ紙記者)
「あの日は夕方六時頃に二人でいらして、お寿司をつまみながら、ビールや日本酒、サワーなどを飲んでいました。会話の内容などはわかりません。
ただ、フジテレビで私の話が『真剣な表情で話し込んでいた』と報じられましたが、険悪な雰囲気とか言い合いをしていたという意味ではまったくありません」
(9月10日に竹内結子夫婦が訪れたすし屋の店主)
竹内結子さんは公開されてはいなかったが、次の仕事も見えていたよう。
9月28日の日テレの定例会で、小杉善信社長は動画配信サイトHuluで竹内結子さんの次回作を企画していたと明かしました。

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